Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

ソーシャルな時代にふさわしい?:時代に先駆けるアルゼンチン社会

マテアスメソッドの生みの親、マテアス先生からスペイン語の宿題で「なぜ日本人はクオリティーを追求するのか?」というライティングの課題が出た。

色々と考えてみたけど、自分が納得する答えは出なかった。宿題は宿題なので、スペイン語で諸々書いてはみたけど、どれもいまいちしっくりこない。

クオリティーが高い例として、今現在の例と過去の例としてひとつづつ挙げる必要があったので、現在の例としてGoogleで「キャラ弁」を画像検索した画面を見せた。

Kyaraben

たぶん、日本人が総じて変態だということが理解出来たと思う。このディテールにこだわる徹底した追求心はほかの追随を許さない。ただ日本人が思っている「クオリティーの高さ」というのがグローバルスタンダードではないので、それが通用しなくなりつつある意味、多少この考え方を変える必要はあると思う。

もともと、日本の文化は中国などの大陸に多くの影響を受けているが、それらも独自に解釈して、ある種べつものを作っている。(ラーメンとかは典型的な例だと思う)

ここアルゼンチンでは、「Trabajo chino(中国人の仕事)」という言葉がかってあり、それが意味するところは、「アホみたいに時間を使った芸術的なまでの高度な仕事」という意味だったらしいが、今では中国製が意味するところはアルゼンチンでは「安いけど低品質」ということになってしまった。

品質へのこだわりというのは、もうすでに日本人のDNAに刻み込まれてしまっており、たかだか子供のお弁当にすら、途方もない工夫と時間を使って、あり得ないお弁当を完成するのが日本人だ。そして、日本の問題点はあらゆることに高品質、ハイクオリティーを求めているから、閉塞感たっぷりの社会が形成されてしまっていることだろう。

例えば、レストランに行っても黙っていればメニューとお水がおかれ、頃合いを見計らって注文を取りに来て、食べ終わったら少し間隔をあけて皿を下げるという芸術的な行動を一言もこちらが口を利かずとも成し遂げてしまうのが日本人だ。

これが海外だと、もう全身を使って自分の存在をアピールしないとメニューすら持ってきてもらえない。

アマゾンで注文した商品は早ければ当日、遅くても翌日に届き、不在であれば不在票に書いてあるドライバーさんの携帯に電話すれば、それから1時間もしないで持ってきてもらえる。

神かと思う。

ここアルゼンチンでは海外からの荷物なんて届くだけで奇跡だし、このあいだも税務署からの大事な書類がなんの関係もない我が家に届いており、こちらから該当する数軒先の家に届けてあげた。

そんなアルゼンチンでもほかに負けないハイクオリティーなものがあり、マテアス先生いわくそれが「友情」とのことだ。たしかに友だちや家族はとても大切しており、人々の距離はとても近い。だからFACEBOOK中毒な人が多い国でもある。

ついでに言うと日本人の問題は「友情」かもしれない。仕事繋がりで仲良くなったら、その人たちは「仕事仲間」と認識され、それ以上の仲には中々ならないし、団塊世代なんかは仕事ベースの付き合いが中心なので、定年退職すると暇を持て余してしまう人たちが多いのが現状だ。(ちなみに日本にいるときは意図的に色々と違う畑の人たちを集めてパーティーなどをしていたが、自分以外にそんな酔狂なことをしている人をほかに知らない) 

結局、「日本人がなぜクオリティーを追求するのか?」という問いは解けない。そのおかげですっかり息が詰まる世の中にはなってしまったけど、立派な「ゆとり世代」がそれを破壊してしまうだろうし、あまり心配はしていない。その先に何が待っているのかはよくわからないが、案外アルゼンチンのような「友だち中心社会」かもしれない。

そのほうが進歩的だし、それこそ、このソーシャルな時代にふさわしい気もする。