Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

初心忘れべからず:リスクを取って生きるということ。

人はよく「初心忘れべからず」と言う。

しかし、それはとても難しい。特に年を取れば取るほど、難しくなってしまう。

なぜなら年を取れば取るほど、周囲の環境に慣れ、自分自身の存在にも慣れ、また自分の人生の可能性にも慣れてしまう。いつのまにか、物知り顔で人の人生や物事に口出しをし始め、訳知り顔で本当はよく分からないことにいちいち頷くようになる。

立派な「大人」の出来上がりだ。

そういうことに対しての反発もあり、わざわざ地球の裏側にあるブエノスアイレスまでやってきたのだと思う。特に仕事の面で言えば、もう一度新しい言語であるスペイン語を一から学ぶことによって、本当に初心を取り戻すことが出来た。

何人かの先生に学ぶことによって、彼らの長所や短所を見極め、それをワンズワードの先生たちにも当てはめて考えることが出来る。すでに知っていることではあったが、体験としてもう一度焼き直すことはとても大切な作業だ。

人は人生をリセットしたいと言うが、残念ながら人生とは「壮大なひとつのバランスシート」なのだ。築き上げた資産(人間性、人間関係、思考、知力、財力など)と負債(人間的な短所、マイナスな人間関係、惰性、マイナスな感情など)はどこに行ってもつきまとう。

だからこそ、「初心忘れべからず」などだろう。

人生において大切なことはいつまでも変わらない。人生を知れば知るほど、分かった気になってはいくが、いつまで経っても本当にすべてを知ることは出来ない。そのことを思い知るために、何か新しいことに挑戦するのは素晴らしいことだ。

英語でもスペイン語でも、タンゴでも何でもいいが、新しいことを知る努力をするということは、自分の未熟さを思い知り、人間を謙虚にさせる。

次元の違う話になるがバルセロナにあるピカソ美術館に行ったときに最も感銘を受けたのは、その時系列に並んだコレクションを見て、彼が自分で一度そのスタイルを極めたと思ったら、あっさりそれを捨てて常に新しいチャレンジをしていることだ。(美術教師だったピカソの父は、13歳の少年ピカソが描いた「鳩の絵」を見てその圧倒的な写生力に驚き、それ以降絵筆を握らなかったという)

よく才能を持て余すというが、それは裏を返せば、何も新しいことにチャレンジしていないということなのかもしれない。

天才の人生を真似ようと思っても無理だが、時々自分の人生を振り返って、そこに何も新しい挑戦がなければ、リスクを犯す節目なのかもしれない。

老後は縁側の縁に腰をかけて緑茶でもすすりながら、将棋でも指して余生を送りたいと思っているが、それまでは常に新しいことにチャレンジする姿勢というものを失わないようにしたい。