今日は最終面接まで残ったが、あえなくそこで撃沈してしまった友人を慰めるために家で鍋をした。
(上記は先週末行った軽井沢の写真です。文中とは関係ありません。絵的に淋しいのでアップしました)
彼は「TOEIC900以上、修士取得者、さらにはその分野における勤務経験あり」という某有名大学職員の狭き門の求人に応募していたのだが、50人を越える応募者の最後の二人まで残ったが、結局「該当者なし」ということで彼ももう一人も落とされてしまったのだった。
一次審査、二次審査、それに最終面接というプロセスに1ヶ月ほどかかり、それだけの手間ひまをかけて誰も合格させないという、いかにも大学という非効率なやり方に呆れる。
付き合いのある大学の先生たちからよく教授会の理不尽かつ非効率な話し合いの愚痴を聞くが、なるほどなと思った事件だ。
きっと受かったら受かったで、そういう方々に振り回される毎日だろうから、これはこれで良かったのではということに落ち着いた。
そして、元々小説家希望の友人だったので、いっそのことそっちの道に進めばということで話しが盛り上がった。
一昔前までは文章で自己表現する手段は小説を書くくらいしかなかったが、今はブログやTwitter、それにHPなど多岐にわたる。
それでも小説家を目指すということは、よほどの作品を生み出す自信がないとできない。それに小説というメディア自体が以前ほど求心力がなくなっている。
作家にとっては受難の時代だ。
彼は45歳ぐらいで小説を書くつもりだと言っていたが、それくらいの心持ちでいいのかもしれない。一生のあいだに一冊でも自分が満足できる作品を書ければ、作家にとっては本望だろう。