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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

イタリア的な幸福のあり方について:ファヴィニャーナ島より

パレルモの喧騒を逃れて、トラーパニというところに三泊し、それからファヴィニャーナ島というところに来た。

トラパーニ

ファヴィニャーナ島

イタリア、特にシチリアに来て思うのは中年のオヤジたちが元気なことだ。そして、彼らはとてもオシャレである。ピンクのポロシャツに白い短パンを履き、素足に靴を履いて、サングラスをかけている姿がとても様になっている。日本でそんな格好が似合う中年のオヤジは石田純一ぐらいかもしれない。

若者からは突き上げを喰らい、上の世代からは圧力を受ける日本の疲れた中高年世代とは全く違う。「オレたち、まだまだイケてるぜ!」という感じがひしひしと伝わってくる。彼らにとってみれば人生はまだまだこれからであり、今までよりももっと楽しいことが待ち受けていると思っているのだろう。

それは自分が住んでいるメキシコにも、住んだことのあるアルゼンチンにも日本にもない感覚だ。 イタリア人は死んでも伊達男・・・・そういうことなのかもしれない。

日本では世代ごとに役割と責任をあてがわれ、それに従うことが暗黙の了解だ。特に30代に入ってくると、それがとても明確になってくるので、それが少し嫌になって日本を出たのかもしれない。もっと自由な生き方があってもいいと思う。30になろうが40になろうが、そして50、60になろうが、人はやりたいことをやる権利があり、それを楽しむ自由を持つべきだ。

ファヴィニャーナ島

勝手気ままに生きたいというのではなく、自分がやりたいことをいつまでも追求したい。

イタリア人はそこまで深く考えてはいないだろう。 ただ、彼らは死ぬまで男であり、女である。

それはとても重要なことなのかもしれない。 子供を何人作ろうが、彼らはずっとセクシャルであり、異性を意識し続けている。60代だろうが、70代だろうが女性はビキニを着てビーチで寝転がり、男は渋くキメている。

ただ政治は壊滅的だし、経済的に発展する見込みはゼロに近い。 なにせベルルスコーニみたいな人が9年ものあいだ、首相を勤めあげることが出来る国だ。

ベルルスコーニ名言集 (ベルルスコーニ名言集より)

イタリア人の関心は異性に集中しており、ほかのことには神経が回らないのかもしれない。そして、それでも過去の栄光と遺産のおかげで、ある程度の生活が保証されている。だからこそ、変わらずシエスタを貪り、お金はほどほどに稼げばいいと思っている節がある。

それもひとつの価値観であり、生き方だ。

ファヴィニャーナ島

太陽があり、どこまでも美しい海に囲まれ、おいしい料理にありつけ、お金はそんなにないかもしれないが、毎日シエスタがある。世界にはそういう生き方もある。羨ましいと思わないが、メキシコのような新興国に住み、またアジア諸国の威勢のいい経済的成長を見るにつけ、その生き方の違いに愕然とする。

日本も右肩上がりの成長はもう期待が出来ない今、イタリア的な幸福のあり方について少し学んだほうがいいのかもしれない。