Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

失敗した人生とは:桜散る頃に思うこと

いいかい、人間のやることの九十九パーセントは失敗なんだ。だから、何にも恥ずかしがることはないぞ。失敗するのが普通なんだからな。       伊坂幸太郎

成功は人生の問題をだいたいにおいて、覆い隠してしまうことは事実だ。 失敗から学ぶことは多いが、成功はたいていの場合、運と時の流れによって決まると言っていい。

だからこそ、人は失敗から学び、成功することによって浮かれ、自分を見失う。

努力すれば、当然成功の確率は高まるし、最大限の努力はやるべきだと思うが、それでも人生は努力だけではどうにもならない。だが、ひとつ言えるのは、きっと失敗すらできない人生が一番の不幸だ。

なぜならば、それは何も挑戦をしていない人生を送っているということだからだ。 失敗することは実際問題として恥ずかしいことだし、ダメージが大きい場合が多いが、そこから学び、また再び挑戦できるのであれば、救いはある。

世界50カ国を旅して、海外に10年ほど住んで思ったが、結局のところ人間の人生なんて、生まれた環境によって90%ぐらいは決まってしまっているというどうしようもない現実だ。

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一時は一億総中流社会と言われた日本に生まれると、それほど貧富の差は感じることはないかもしれないが、実際は世界の1%の人たちが世界中の富の半分も保有しているのが現状だ。

1%の最富裕層、世界の富の50%余り保有へ-オックスファム

挑戦できるだけでも幸せなことだし、富んでいる証拠でもある。 世界の多くの人は挑戦すらできずに老いて死んでいくのが現実なのだから。

だから、失敗するということはなかなかなもので、「失敗した人生」というのは胸を張れるものなのかもしれない。自分の人生に語るべきものがない人たちは他人をよく揶揄するが、そんな暇があれば、自分はずっと挑戦していきたいと思っている。

新しい事業を起こして成功したいし、新しい国に住んでまた新しい言語を習得したいし、それにまだ見ぬ出来事や景色を見て見たい。きっとそれまで多くの失敗もするだろうけど、最後の最後でうまく勝てればと思っている。

こんなことを思うのはきっと春だからだろうけど、人生頑張りすぎず、欲張りすぎず、諦めが早すぎなければ、意外とどうにかなるものだと思っている。

たった3ヶ月で英語がペラペラに!

時々、「どのように英語をマスターしたのか?」あるいは「スペイン語をマスターしたのか?」と聞かれることがある。

そういうときは、たいてい「1日4、5時間勉強して、だいたい1年で文法やセンテンスは問題なく言えるようになるから、あと1年かけてなるべく流暢に話せるように1日最低でも2、3時間は勉強するといいよ」という夢も希望もないことを言って彼らを幻滅させてしまう。

なぜ英語ができるようにならないか

上記の記事にあるように日本人が英語を習得しようとすると、3000時間かかると考えると、大学まで1000時間英語に費やしたとしてもあと2000時間もの時間がかかることが分かる。

たった3ヶ月で英語がペラペラ!」というような情報商材あるが、1日20時間勉強して90日続けると、たしかに1800時間にはなるので、不可能ではない。

もちろん、ただ時間をかければいいというわけではないし、90日間のあいだ1日20時間も英語学習にかけられる人が存在すればの話しだが・・・・・

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1. 英語は話せば話すほど、うまくなるのか?

とにかく毎日話せばうまくなるという幻想を抱いている人は多いが、うまくなった気になっても、実際はたいして上達はしない。基本的にインプット10に対して、それらをアウトプットできるのは1か2だと思うので、その割合に応じて、オンライン英会話などをうまく活用すればいいと思う。

日々、自学自習もしていないのに、安いからといって毎日のようにオンライン英会話で話しても、けっして英語習得はできないと思う。

2. 正しい外国語習得の方法

これはいつも思うのだが、数学と同じだと思う。 まずは公式を覚えないと、問題は解けない。

だから、英語ひいてはあらゆる外国語でその公式に相当する文法やイディオムなどをまずは習得する必要がある。数学の公式と同じように、ただ公式を覚えるだけだと退屈なので、それらをどのように使ってアウトプット(話したり書いたり)できるかを考えてながら習得すべきだと思う。

今まで習得はできなかったが、フランス語、イタリア語、ポルトガル語を習った経験でいうと、「ただ話せる」ようになるにはそれほど難しくはない。ただ話すには、どれだけ暗記するかが問題であり、公式を使って自分で問題を解いたり、応用したりする必要はないからだ。

だが、「きちんと話す」ようになるには、相当な時間と鍛錬が必要だと思う。

これらの「英語を話すために書かれた文法の本」を使って、まずは英語の公式を習得すればいい。 3. 短期間で英語、およびほかの外国語を習得する方法

結論からいうと、結局は「どれだけ多くの時間を短期間に集中させて勉強するか」に尽きる。1ヶ月のあいだ1週間に1回1時間勉強するよりは、4日間のあいだ続けて1日1時間勉強したようが学習効果が高いことは容易に想像がつくはずだ。

(大変優れた外国語の学習方略の本です。あらゆる外国語学習者に読んでほしい一冊です)

また自分なりの結論としては、やはりいかに「優秀な先生と出会える」かが、外国語学習のモチベーションに深く影響すると思う。だから、自分が納得した先生しか雇用しないオンライン外国語スクール・ワンズワードオンラインを作ったし、今はそうして習得した人たちが、「外国語を使って社会で活躍できる事業」を準備している。

急がば回れというが、これは英語習得およびほかの外国語習得にも言える。 「たった3ヶ月で英語がペラペラに!」は聞こえはいいが、あなたが1日20時間、90日間のあいだ勉強し続ける自信がない限り、そんな商法に惑わされずに粛々と英語学習を続けたほうがいいだろう。

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人生におけるパッションについて

外国語を学習するモチベーションは色々あると思う。 「外国人と付き合いたい!」というシンプルな欲求もありだと思うし、自分のように未知の人々の出会いのために外国語を勉強する人間もいる。

タンゴを踊っている友人にうちのスペイン語のオンラインクラスを薦めてみたら数名入会したが、彼らがスペイン語を勉強するモチベーションはタンゴだ。

タンゴをより深く理解するために、スペイン語を習う。 彼らは寝ても覚めてもタンゴのことばかり考えており、タンゴ以外の話を彼らから聞いたことがない。

(世界チャンピオンのデモビデオですが、彼らは現在日本に滞在しており4月9日に目黒でデモをやるらしい)

タンゴとフラメンコの違いも分からない人たち相手にタンゴの素晴らしさを説くのを見て、これだけの熱情を持てるものがあるのは幸せなことだと思った。(かくいう自分もブエノスアイレスにいるときは毎日タンゴを踊っているタンゴ馬鹿だけど)

人生に必要なのはパッションだ」 巨匠ゴダールがそのようなことを言っていた気がするが、たしかにその通りかもしれない。

パッションがなければ、生きているか死んでいるかわからない人生になってしまうだろう。 恋愛に全精力を傾けるのもいいし、仕事や子供にその熱情を注ぐのもいいと思う。

でも、人は何かしらないと生きていけない生き物だ。 なにか特別なことをする必要ないし、当たり前のことをきちんとやるのは大切だ。

ただ、きっと個人の人生をユニークにするのは、その当たり前をはるかに超えた熱情を注ぐものがあるからなのだろう。探しても探さなくても、意外とそこにある・・・・パッションとはそういうものだ。

スペイン語を勉強するモチベーションにするためにタンゴやサルサを習う人もいるし、その逆もある。旦那を愛してもいないのに、子供のために離婚をしない母親もいるし、家族のために嫌いな仕事を続ける人も多い。

それもひとつのパッションと言えるかもしれない。

譲れないものは譲れないのだ。 なにか偉大なものはきっと人間の理知を超えたところにあると思うが、それに到達する手段として、パッションがあるのだろう。

努力しているのに、努力していると思わない何かがある人生は、きっとそれだけで幸せなのだろう。

人生はパッションであり、パッションこそ人生である・・・・とは言い切れないと思うが、本当になにか楽しいと思うときは、普段以上の熱情を放出しているときには違いない。

幸福度と年齢の相関関係について

意外でもなんでもないかもしれないが、幸福度というのは年齢に依ることが大きいらしい。

Screen Shot 2016-03-30 at 12.41.09THE IMPACT OF AGE ON HAPPINESS, ESPECIALLY IN TIMES OF CRISISより引用)

俗に言うミッドエイジクライシスというものが見事に証明されたわけだ。

20代、30代だったらまだやり直しがきくが、40代に入ると中々そうもいかない。自らを否定することは難しくなり、それまでの人生を思い返して、ブルーになるのだろう。

ただ人生の選択肢は自分が握っていないと思い込んでいることによって、そういう危機的な状況を起こしてしまうのではないかと思う。

結局のところ、人生は選択の連続だ。 選択しないというのも、ひとつの選択ではある。

だが、きっと選択することによって、それが間違いであったり失敗しても、学びがあり喜びが持たされるのではないだろうか。

失敗を許さない社会について思うこと。

日本の社会は失敗には厳しい。

ベッキーや清原や、あとショーンK・・・・ショーンさんは純日本人なのに「外国人」を名乗っていた豪のものでどうかと思うが、美男美女しかいない芸能界で不倫や浮気はしょうがないとは思うし、野球しかできない野球バカに社会的な倫理を求めてもしょうがないと思う。

僕が住んでいたアルゼンチンという国には、清原と同じように薬物中毒で晩年のキャリアを棒に振ったマラドーナというサッカーの神様がいる。彼はそれでもそのあとアルゼンチン代表監督に就任し、メッシを擁しているにも関わらず、あわや南米予選で史上初の敗退という絶体絶命のピンチまでチームを追い込んだ。だが、そのあとなんとか見事ワールドカップ出場を果たして全国民を安堵させた。(まあ、結局一次リーグ敗退だったが・・・なんども言うが現在のサッカーの神様メッシを擁していたにも関わらずだ。)

マラドーナがアルゼンチン代表監督をしているときにアルゼンチンに住んでいたので、アルゼンチン人に「どうしてあんな薬物中毒でどうしようもない人間にサッカーの代表監督を任すのか?」訊いてみたことがある。そしたら、みんなだいたい口を揃えて「だって、マラドーナだから」と答えてくれた。

たぶん、きっと清原のこともみんな「だって、清原だから」とは内心思っているのだから、暖かく見守り、ぜひとも巨人の監督になってほしいと思う。巨人の成績は清原監督によって向上することはけっしてないと思うが、どうせ野球賭博で真っ黒な巨人なのだから、失敗に寛容なところを見せてほしい。

芸能人やスポーツ選手、ミュージシャンといった人々に人は一体何を求めているのだろうと思う。 社会的な規範を守り、酒や薬物に手を出さない聖人君子のような人たちがそんな職業に就くわけがない。

僕がイギリスに住んでいた頃はブリットポップが全盛だったので、毎日のようにオアシスやブラーが話題に上っていた。とくにオアシスのギャラガー兄弟の素行は、「正統派ロックンローラー」といったもので、酒を飲みすぎてライブをキャンセルし、インタビューではコカイン摂取について詳細に語るという「これぞロックンローラー」といったものだった。

そんなノエル・ギャラガーがインタビューで一度、「おれなんて目じゃないぜ、プライマル・スクリームボビー・ギレスピーは。やつのガラス張りの家はコカインで埋め尽くされている」と発言していたのを今でも覚えている。 (Noel Gallagher - Q Magazine - October 2008 pt2 そんな彼もようやくクスリとおさらばできたらしい)

いや、もちろんクスリには反対だし、社会的規範をどこまでも遵守するべきだと思う。

だが、コカインをやりまくっていたプライマル・スクリームの連中はUKロックの金字塔「スクリーマデリカ」を作り上げたし、オアシスも同じようにUKロックの歴史に名を刻んだ。(プライマル・スクリームはそれほど好きなバンドではないし、彼らのライブを見に行ったことがあるが、ボビー・ギレスピーの目なんて明らかに薬物中毒者の目だったので気持ち悪いとさえ思った。でもロックの歴史を学ぶには彼らの音楽を聞く必要はある。)

ロックンローラーの仕事は後世に残るような素晴らしい音楽を築きあげることであって、それ以外のなにものでもないし、スポーツ選手は観客を楽しませれば、それでいいと思う。それ以外のことは他人がとやかく言う必要はないし、彼らが女やクスリを覚えてもそれは本人の自覚のなさからくる落ち度であって、個人的な問題だ。

それがなぜ社会的な問題になるのか、じつに不思議だと思う。

クスリの誘惑に負けて命を絶ったり、消えていったロックンローラーのほうが、後世に残るような音楽を築いた人たちよりはるかに多いだろう。だから自然淘汰されるだけなのだから、放っておけばいいと思う。イギリスの警察が日本の警察のように税金を使って自国のミュージシャンたちを1年以上内偵すれば、90%以上のミュージシャンはクスリ関係でブタ箱行きだろう。ほんと世知辛い商売だ。

それに酒もたばこもクスリもやらない菜食主義者のロックンローラーなんてモリッシーだけで十分だ。

ただ、一連の事件で一番怖いと思ったのは、週刊文春にプライベートな会話を完コピして持ち込んだゲスの人の奥さんだと思う。個人で責任が取れる範囲で、酒もたばこもクスリも、浮気も不倫もみなさん自由にやっていいと思うが、パートナー選びに失敗すると取り返しがつかないことになるなと思う今日この頃だ。

なんだかゲスの家は、呪怨の家より怖いと思う・・・・

ネットを手段にして羽ばたく世界の若者とそれが目的な日本の若者について

今とある大学を対象にオンライン英会話クラスを提供している。 大学のキャンパスで提供しているわけではないので、あくまで彼らが自宅にいるときなどにスカイプに登録して、さらにうちのサイトに登録して予約してもらう必要がある。

以前はよく「スマホ、あるいはタブレットで受講できますか?」という問い合わせがあった。しかし、彼らはそんなことを問い合わせをする前に、「当たり前」のようにスマホで受講する。

そしてスカイプに登録するのが初めてなので、スカイプ名の間違いが非常に多かった。 だが、LINE世代の彼らにとって、スカイプなんてものはもう石器時代の遺物なのかもしれない。

考えてみれば、通話かチャットしかできないスカイプが時代に取り残されるのは当然のこともかもしれない。FACEBOOKやLINEのようにSNSとしても機能しないものは、もう過去のものだろう。

すでにLINEを駆使している彼らにとってスカイプを使うメリットはそれほど多くはない。オンライン英会話業界では「スカイプ」がデフォルトだが、これももしかしたら変わっていくのかもしれない。

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より具体的に言うとブラウザで会話できるappear inなどに取って代われていくのだろう。 (スカイプもブラウザだけで完結できるようにはなったが・・・・どっちが勝つか)

以前は「年の功」というものがあり、世代の上の人たちはなにかしら偉そうな顔をする機会がたくさんあったが、デジタル世代では若者が圧倒的な力を持つ。

彼らが「いらない、面倒くさい」と思ったものはどんどん淘汰されていくのだろう。別にそれが正しいとは思わないが、そういう流れであることは理解できる。

フィルム写真がいつ間にか誰からも見向きされなくなったように、スカイプなどの新しいサービスもあっという間に淘汰されていくのだろう。愛着や思い出とは全く別のベクトルで時代は進み、古くなったものは「懐古主義」な一部の人々に愛されるだろうが、世の中の大勢の人々は「便利なもの」が大好きだ。

こんなに便利になったのに、人々は一向に幸せにもなれず、かといって不幸を感じるほど暇でもない。ずっとスマホを見ていれば、世の中の気になることや新しいことがどんどんと入ってくる。

物事を正しく認識するには、「新しいことを経験する」を経験する必要があるが、ネットのおかげで「知っていること」ばかり増えたスマホ世代にはそういう機会がそれほど豊富に提供されているとは思わない。

彼らと同世代のヨーロッパの若者や、ラテンアメリカの若者と知り合う機会はけっこうあるが、彼らのほうがネットを駆使して、より幅広く行動している気がする。それはおそらく彼らのほうがネットを「手段のひとつ」として割り切って使っているからだろう。

今日もスカイプブエノスアイレス在住(ロンドンから最近移住したばかり)の20歳のイギリス人と話したが、ものすごくしっかりとして正直びっくりした。自分が20歳の頃に比べても全然違う。おおげさに言うとその差は、「世界がネットで完結している日本の若者」と「ネットを手段にして世界に飛び出していく若者たち」という差なのかもしれない。

この差は、相当な努力をしないと埋まらない。

内弁慶な日本人にそのような変化を期待するよりは、自国にとどまってインバウンドに期待するほうが大多数の若者にとっては有効な戦略なのかもしれない。「英語が話せる外国人」は海外では当たり前だが、「英語が話せる日本人」は国内ではまだ希少性があるので英語だけは勉強したほうがいいとは思うが。

世界の格差、世代の格差、そういったものはきっと気づいた時にはどうしようもないほど広がっており、これからは一人一人が全く違う世界観を持つような世界になってしまうのだろう。それがより豊かな世界につながるとは思わないが、より幸福な世界にはなるような予感はする。

間違いだらけの外国語学習方法について

5ヶ国語を同時に習って、わずか1年で習得したという記事を読んだ。

How I Learned 5 Languages in One Year

もちろん、5ヶ国語すべてペラペラになったわけではないが、それでもすごいことだと思う。ロシア人の彼女にとって中国語は難しかったと思うが、それでもB2レベル(ビジネスまでこなせるレベル)まで到達している。

ドイツ語(B2) スペイン語 (A1) フランス語 (A2) 中国語 (B2) チェコ語 (A2)

ちょうど2歳になったばかりの乳幼児を抱えての5ヶ国語習得だ。それだけでも賞賛に値する。そのやり方については、詳しく記事を読んでもらえばいいが、ここでは「間違った外国語学習方法」を自分の経験を踏まえて、語ってみたい。

1. ゴールが明確ではない

2014年の10月にイタリアに一ヶ月ほど旅行する計画を立てたので、その年の6月からイタリア語を計画的に習い始めた。この時点では「イタリア旅行で苦労しない程度のイタリア語力」を身につけることが目標だった。

素晴らしいほどにゴールは明確だし、イタリアに行くまで4ヶ月もあったので、この時点で「勝った!」と思い、勝利を確信していたが、見事にこの計画は頓挫した。

なぜか?

アルゼンチンに2年、メキシコに2年住んでいたので、スペイン語は話せる。 すると問題が生じる。なぜなら、スペイン語とイタリア語は思った以上に親和性が高く、スペイン語が話せるとイタリア語習得はさほど難しくなかったことだ。逆説的だが、習得が簡単すぎると人間はだらけるのだ。

最初の10レッスンくらいで、ホテルやレストランで使うような簡単なイタリア語はマスター出来た。そうなると、モチベーション的に継続が難しかった。そのときに次のゴールを設定し直す必要があったが、「イタリア旅行のあとにイタリア語は必要なのか?」という点が明確ではなかったために、うやむやになってしまった。

それに、「3ヶ月くらいみっちりやれば、イタリア語はいつでも習得できるのではないか」という安易な考えが生まれたので、だらけてしまったこともある。知り合いのメキシコ人がティーンエイジャーの頃にフィレンツェに半年留学していたので、「イタリア語は習得したの?」と訊いたら、「するわけないじゃん!スペイン語で問題なかったし!」とはんばキレ気味で言われたことがある。

まあ、気持ちはわかる。たしかにスペイン語話者とイタリア語話者は、お互いの言語を知らなくても8割くらいは意思の疎通ができる。

そうして、たいして勉強しなくても「イタリア旅行で苦労しない程度のイタリア語習得は簡単」というなめた態度をとってしまい、勉強がおざなりになってしまった。

だが、最大の原因は下記だ。

2. 先生選びに失敗した。

イタリアン・ビギナーな日々

イタリア語を習ったベロ先生自体にはなんの問題もなかった。6月中旬から7月の終わりまでに、週3回から4回はレッスンを取った。だが、ベロ先生は7月終わりから9月までバカンスに出かけてしまい、それ以上彼女にイタリア語を習うことが出来なくなってしまった。

当然、ほかの先生を探したが、難攻し、そうなると「まあ、いっか」となってしまった。

鉄は熱いうちに打て!」というが、まさにそのとおりで一度やる気なっていたのに、ちょっと間が空くと、そのやる気を再起動させるのは至難の技だ。

だからこそ、優秀な先生しか存在しないスクール・・・・そうまさにワンズワードオンラインのようなスクールで外国語を学習することが重要なのだ。(ステマ

モチベーションを継続するために先生が果たす役割は思った以上に大きい。 「この人と話したい」「この人についていけば、高みまでに連れて行ってくれる!」そのような先生との出会いは何事にも代えられないのは事実だ。

3. 学習を習慣化出来なかった。

学習を習慣化するには、やはりどうしてもモチベーションが重要になるし、それとスケジューリングも重要だ。うちのオンライン英会話スクールでも絶対にレッスンを受講できる時間である深夜や早朝にレッスンを受けている人たちがいる・・・・自分には無理だが、尊敬に値する。

誰だって勉強なんてしたくはない。 だからこそ、それを習慣化することが重要だ。

私がどうやって朝型人間になり、新しい語学を習得し、5倍の本を読むという2015年の目標を達成したか

上記記事にあるように「達成可能な小さな目標」から物事を習慣するのはとてもいい方法だと思う。乳幼児を持つ母親でも5ヶ国語を1年間で習得できたのだから、普通のサラリーマンでも英語のひとつやふたつ1年間で習得できるだろう・・・・ようはいかに時間をそのために作るかが問題だ。

とにかく、雨が降ろうが雪が降ろうが1日数時間、自分が習得したい言語を勉強する時間を作ることが外国語習得をするために最も効率のいい方法なのだろう。そして、それを数ヶ月以上続けることが重要だ。

今までプライベートレッスンまで取って習得を目指したが失敗した外国語は、フランス語、韓国語、ポルトガル語、それにイタリア語と数多いが、これからはそれを肝に銘じて頑張っていきたいと思う。