Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ネットを手段にして羽ばたく世界の若者とそれが目的な日本の若者について

今とある大学を対象にオンライン英会話クラスを提供している。 大学のキャンパスで提供しているわけではないので、あくまで彼らが自宅にいるときなどにスカイプに登録して、さらにうちのサイトに登録して予約してもらう必要がある。

以前はよく「スマホ、あるいはタブレットで受講できますか?」という問い合わせがあった。しかし、彼らはそんなことを問い合わせをする前に、「当たり前」のようにスマホで受講する。

そしてスカイプに登録するのが初めてなので、スカイプ名の間違いが非常に多かった。 だが、LINE世代の彼らにとって、スカイプなんてものはもう石器時代の遺物なのかもしれない。

考えてみれば、通話かチャットしかできないスカイプが時代に取り残されるのは当然のこともかもしれない。FACEBOOKやLINEのようにSNSとしても機能しないものは、もう過去のものだろう。

すでにLINEを駆使している彼らにとってスカイプを使うメリットはそれほど多くはない。オンライン英会話業界では「スカイプ」がデフォルトだが、これももしかしたら変わっていくのかもしれない。

Screen Shot 2016-02-23 at 18.21.32

より具体的に言うとブラウザで会話できるappear inなどに取って代われていくのだろう。 (スカイプもブラウザだけで完結できるようにはなったが・・・・どっちが勝つか)

以前は「年の功」というものがあり、世代の上の人たちはなにかしら偉そうな顔をする機会がたくさんあったが、デジタル世代では若者が圧倒的な力を持つ。

彼らが「いらない、面倒くさい」と思ったものはどんどん淘汰されていくのだろう。別にそれが正しいとは思わないが、そういう流れであることは理解できる。

フィルム写真がいつ間にか誰からも見向きされなくなったように、スカイプなどの新しいサービスもあっという間に淘汰されていくのだろう。愛着や思い出とは全く別のベクトルで時代は進み、古くなったものは「懐古主義」な一部の人々に愛されるだろうが、世の中の大勢の人々は「便利なもの」が大好きだ。

こんなに便利になったのに、人々は一向に幸せにもなれず、かといって不幸を感じるほど暇でもない。ずっとスマホを見ていれば、世の中の気になることや新しいことがどんどんと入ってくる。

物事を正しく認識するには、「新しいことを経験する」を経験する必要があるが、ネットのおかげで「知っていること」ばかり増えたスマホ世代にはそういう機会がそれほど豊富に提供されているとは思わない。

彼らと同世代のヨーロッパの若者や、ラテンアメリカの若者と知り合う機会はけっこうあるが、彼らのほうがネットを駆使して、より幅広く行動している気がする。それはおそらく彼らのほうがネットを「手段のひとつ」として割り切って使っているからだろう。

今日もスカイプブエノスアイレス在住(ロンドンから最近移住したばかり)の20歳のイギリス人と話したが、ものすごくしっかりとして正直びっくりした。自分が20歳の頃に比べても全然違う。おおげさに言うとその差は、「世界がネットで完結している日本の若者」と「ネットを手段にして世界に飛び出していく若者たち」という差なのかもしれない。

この差は、相当な努力をしないと埋まらない。

内弁慶な日本人にそのような変化を期待するよりは、自国にとどまってインバウンドに期待するほうが大多数の若者にとっては有効な戦略なのかもしれない。「英語が話せる外国人」は海外では当たり前だが、「英語が話せる日本人」は国内ではまだ希少性があるので英語だけは勉強したほうがいいとは思うが。

世界の格差、世代の格差、そういったものはきっと気づいた時にはどうしようもないほど広がっており、これからは一人一人が全く違う世界観を持つような世界になってしまうのだろう。それがより豊かな世界につながるとは思わないが、より幸福な世界にはなるような予感はする。