Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

BABEL

人は気付かないあいだに他人を傷つけてしまう生き物だという。
果たして、本当にそうだろうか?

誰もが自分にされたら嫌なことぐらいは自覚している。
けれども、それを他人に対しては平気でしてしまう。

すべては想像力の問題なのかもしれない。
人は他人がなにをどう思っているのか、想像することによってしかコミュニケーションを成立させられない。そして、物事の結果を想像して行動する人間は稀なのだ。

手に入れたばかりの銃を試したくて、通りがかりのバスに向かって発砲するとき、もし自分がそのバスに乗っていたらなんてことは想像しない。

不法就労者が安易に国境を越えると、たいていろくな結果にならないが、そこまで考えは及ばない。誰もが自分だけは大丈夫だとたかを括っている。

人は面倒なことを想像するのを拒絶し、立場の違いや性別の違い、また人種の違いで他人に対する態度を決定的に変える。
それがますますコミュケーションを複雑にしている。

本来、コミュケーションにおいて人間は平等だ。
ほとんどの場合想像力さえ働かせれば、言葉が通じなくてもお互いのことは分かる。 それにもかかわらず、人はコミュケーションを怠り、自分が正しいと思い込んだことに邁進してしまう。人間はなんて悲しい生き物なんだろう。

正しい人生はこれだと振りかざす映画は気に入らないが、なにもかも噛み合わないのも気に入らない。悲しさいっぱいなのだが、妙に納得してしまう、そんな映画だった。