Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

キューバのアートと芸術について2016

キューバに2度訪れて思ったのは、投資先としてのその魅力は「観光資源と人々の教育水準の高さ」だと思った。国外に200万人いると言われているキューバ人だが、その多くはアメリカに住んでいる。アメリカとの国交回復後、彼らが大挙して訪れれば、一気に「キューバのアメリカ化」は進むと思う。

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歴史的な背景からアメリカに対して複雑な感情を抱いている人がもっと多いと思ったが、街中で見かける「I love Miami」「I love Los Angeles」といったTシャツを着た人たちを見ると、そうでもないのかもしれないと思う。実際、キューバ人にアメリカのことを聞いても、特に悪口を言う人もいないし、親戚のうち1人くらいはアメリカに住んでいるので、アメリカの実情と自分たちの実情を比べてみて、少なからず羨望に似た気持ちを抱いているのも事実だろう。

1. キューバの音楽とアート

キューバサルサは世界的に有名ではあるが、ここキューバではレゲトンのほうが流行っており、彼らにとってサルサは「時代遅れ」という印象らしい。街中でも観光客向けの場所ではサルサがかかっていたが、それ以外の場所ではあまり聞かなかった。

またキューバ人のリズム感はほかの中南米の人たちと比べても並外れており、身体中を動かしながら音楽に合わせて踊る様はたしかにかっこいい。彼らにとって音楽は「リズムに合わせて踊るもの」であり、踊りやすい音楽であればなんでもいいのかもしれない。

そして、キューバではアートが栄えている。

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Fabrica de Arte(ファブリカ・デ・アルテ)という今、ハバナの若者たちの間で流行っているという場所に行ってみた。ギャラリー、映画館、ライブ会場、カフェなどが入っているコンプレックスで、たしかに多くのキューバ人で賑わっていた。

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ほかの国からの情報が圧倒的に不足しているなかで、キューバ人が描く絵画やデッサン、それに写真はとても独創的で見ていて飽きなかった。街中では警察、それに隣人同士の監視システムがあり、常に抑圧されているキューバ人はアート、それに音楽などで発散しているのかもしれない。

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もちろん、この厳格な監視システムのおかげで中南米のなかで、最も治安がいいといってもいいくらいな安全を保っているので、旅行者は文句は言えない。だが、そんな監視システムを引いているわりには、なぜか人々には弛緩した空気が流れている。このゆるい空気が、もしかしたら革命政府がこれほど長く続いた要因かもしれないし、さらに遡れば、カステロやチェ・ゲバラが決死の革命を遂行するまでは、独裁政権の圧政とそれがもたらす飢餓に耐えられた大きな要素なのかもしれない。

2. キューバへの観光客

キューバを訪れる観光客は年々増加し、昨年度は350万人を超え、日本人の観光客も昨年は80%近くの伸びを示し、さらに今年はその80%伸びた去年よりもさらに80%伸びて1万人以上になるということだ。

ただし、今年の1月から4月までにアメリカから9万4千人も訪れていることを考えると、日本以上にアメリカで「キューバ・ブーム」になっているのが分かる。

世界遺産に登録されたキューバ旧市街には、古いホテルをリノベーションしてハイアットが建てられる予定だが、これだけ訪れる観光客が増えているにも関わらずホテルは不足しており、その窮余の策として民泊を許可したが圧倒的なインフラ不足なので十分な施設とは言えない。(いくつかの民家に宿泊してみたが、お湯が出なかったり、窓がなかったり、また当然ネットもなく、1泊30ドルから40ドルも支払う価値はないと思った)

ロイター記者の友人がハバナに駐在しているので話を聞いたが、毎月800ドルのインターネット接続料金、車、外国人用の宿泊施設など経費が非常にかかるとは言っていた。ロイターのような大きな組織だからこそ、そこまで経費をかけて進出できるが、多くの日本企業にとってみればまだまだ「遠い未知の国」のひとつであり、進出するのに障害が多い国ではある。

3. 最後に

その友人の誘いでアメリカやカナダ、そしてドイツの大使館の人たちが集まる夕食会にも参加したが、どの人もキューバの治安の良さを讃え、そしてキューバのことを気に入っていると言っていたのが印象的だった。

自分が住んだアルゼンチンで同じようなことを現地にいる外国人に聞いたら、正反対の答えが返ってくるだろう。

ネットも満足に繋がらず、インフラも十分にないし、輸入食品も限られている。 (友人にはスイス産のチョコレートを買ってくるように頼まれたので、しこたま買ってあげた。)

それでも有り余る魅力がキューバという国にはあるのだろう。 こんな短期間の滞在ではまだまだ見えないこともたくさんあるので、今後メキシコ、アルゼンチンと同じように定期的に行って観察していきたいと思っている。

キューバの光と影2016

去年のちょうど今頃、初めてキューバに行ったが普通の観光旅行だったので、その印象は「ただただ貧しい国」という印象だった。

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しかし、今回はJETROが主催するビジネス視察旅行に参加したので、観光旅行では行けないところや知らないことも知ることが出来たのは大きな収穫だった。またツアーに参加した現地駐在員の方々や、個人的な知り合いである現地特派員のイギリス人ロイター記者とも久しぶりに再会して、面白い話を聞くことができた。

1. 歴史的な背景

1959年に革命政権を樹立して始まったキューバ社会主義は、革命前にアメリカの大資本と当時キューバのバチスタ独裁政権が結託して圧政を敷いたので、その反動として生まれたものである。一部の資本家だけが肥え太り、その他大勢の人々が飢え苦しんだ時代の教訓として「平等」を掲げたものであって、特にマルクスやレーニンとは関係がない。

むしろ、もっと崇高なロマンに基づいて敷かれた体制だ。

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1991年には当時、通常の4倍のレートでキューバの主産の輸出物である砂糖を買っていた旧ソ連が解体し、キューバは経済的な後ろ盾を失って大混乱に陥った。それでもキューバ人はこの危機的な状況で各家庭が農産物を育てるなどして、一致団結して乗り切っている。

この人口1100万人しかいない小さなカリブ海の国に人々がどこか憧憬の気持ちを抱くのも、そのような数々の苦難な時代を乗り切ったキューバ人のたくましさとロマン溢れたカストロチェ・ゲバラの革命、それにこのネット時代に完全に鎖国されたミステリアスな国であることが挙げられる。

2. 中南米一優秀と言われるキューバ人とその給料

教育水準は中南米一と言っていいほど高く、識字率は99%という高い数字を誇っている。隣人のメキシコでもキューバ人を絶賛する人は多いし、ほかのラテンの人々の比べて比較的時間に正確なのも好感を持てる。

そんな評判のいいキューバ人だが、国民の給料はすべて政府を通して支払いが行われ、平均月収は25ドルと低い水準だ。もちろん、これだといくら配給があっても足りないので、国外からの親戚による送金、あるいは観光客からの副収入を得て、なんとか生活をしているのが現状だ。

中国のような情報統制を敷いてはおらず、FACEBOOKもグーグルも使えるし、街中ではホテルや図書館の前でネットに接続している人たちを多く見かけた。(どんなに安くても1時間2ドルという接続料金を考えれば、一部の人しかネットに繋げないので情報統制などする必要がないのかもしれない。)

JETROの視察先であるBRASCUBAでは平均給与は800ドルが支払われているとのことだが、彼らが実際手にするのは50ドルだけである。750ドルが政府に中抜きされていることとなる。もちろん、それだと労働者は納得しないので、それとは別にキャッシュで支払いが行われる26ドルから42ドルのインセンティブがあるということだが、彼らに実際に支払われるべき賃金に比べて十分とは言えない。 (法律では会社の利益の10%を上限に社員に還元されることが許されているとのことだが、外資系企業が現金で支払ってしまえば政府が捕捉することは不可能なので、もっと多くのお金が支払われているかもしれない。)

hemingway2016 ヘミングウェイゆかりのバーがハバナの旧市街にはいくつかある。)

一番の高収入を得ているのはタクシーの運転手と言われ、1回の乗車につき少なくても10ドルから20ドルは取るので、1日に100ドルは稼げるだろう。試しにタクシーの運転手の何人かに月いくら稼いでいるのか聞いてみたが、600ドルから800ドルと言っていた。意外に少ないと思ったが、タクシーの運転手いわく「政府に1日50ドルくらいの多額の税金と取られるから」と言っていた。(以前は無認可のタクシーが多かったらしいが、大々的に政府が取り締まりを始めており、無認可で営業するのは難しくなったとのことだ)

約3年前に税金徴収のシステムが代わり、タクシーの運転手は使ったガソリンに比例して税金を払うことになり、それがだいたい1日50ドルになるとのことだ。これは使わなくても支払う必要があるので、多くのタクシー運転手は兄弟親戚と1台の車をシェアして、2日勤務2日休日というようなシフト制で働いている。

キューバ中南米随一の医療を誇る国でもあるが、その高い救育を受けた医師がタクシーの運転手などに転職してしまい、社会的な問題となっている。「平等」という崇高な理想を掲げたはいいが、高度な職業訓練を要し、患者の生死に向き合う医師よりもタクシーの運転手のほうが数十倍高い給料を稼げれば、誰だって転職したくなるだろう。

今までは国民すべての給与は政府を通じて支払われていたが、彼らのようなタクシー運転手、Casa particular(民泊)、Restaurant privado(個人経営レストラン)などが登場し、給与以外の収入を得る人たちが増えた。

ただし、これは首都ハバナに住んでいる人たちが受けている恩恵であり、地方の人々にはほかに稼ぐ手段が少ない。だから、近年では地方出身の女性がハバナで売春婦として働くケースが増えて、これも深刻な問題となっている。

3. これからの展望

閉ざされた国と言えどもそこはラテンの国なので、多くの人がイメージするような堅苦しい社会主義の国という感じはしない。それに2008年よりカストロの後を継いだ実弟ラウルが緩やかにではあるが経済の開放政策を進めている。しかし、そのラウルも2018年には引退することを明言している。だから「これからのキューバ」は次世代に託されることになるが、急激な民主化は貧富の格差を広げることになるので、キューバの理想である「平等」とは程遠いものとなる恐れもある。

マリエル開発特区などを設けて積極的に外資を呼び込もうとしているが、人口が少ない国内市場に魅力は少ないので、教育水準の高いキューバ人を使っての製造業にこそ未来はあるのかもしれない。あくまで中南米のなかでは非常に教育水準が高いというだけだが、月50ドルから100ドル程度の給与で雇えるならば中南米の製造工場になるポテンシャルはあるだろう。

また、あるいは1100万人程度の人口であれば観光業だけで経済は成り立つかもしれない。

一歩間違えれば急激なインフレと新たな経済危機が隣り合わせだが、とにかく「投資=金をくれ」という政府関係者の声はとても切実なものだった。(本来ならば投資というのは一方的なものではないはずだが、社会主義の国の人たちに投資の概念を説くのは難しいとは思う。)

次回は今回の旅行で最も魅力に感じたキューバのアートと音楽について書きたいと思っている。

今日とは違う明日を求めて:想像力が欠如したラテンの世界からこんにちは。

ラテンの国に来ると、時々「どうしてこの人たちは自分を疑うということを、ここまでしないのだろうか?」と思うことがある。そして、それが彼らの「幸せであり続けること」の源泉である気がする。

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昨日、メキシコ人の友人アビマエルと二人で、コスメルというプラヤ・デル・カルメンから船で30分のところへ日帰りで行った。とても美しい島で、人も少なく、牧歌的な雰囲気が漂い二人で一台づつスクーターを借りて島を一周した。

途中、カフェやレストランに立ち寄り、シュノーケリングや昼食を取りながら、のんびりと島を回った。コスメルの海にはウニがたくさんいて、アビマエルはウニを食べたことがないというので、その場で取って食べさせようと思い立った。

本来は島の海鮮物を取ったりしたらダメらしいが、そのレストランのオーナーは親切にも人がいないところへ行って、取ればいいと助言をくれて、オリのようなものを渡してくれた。

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無事ウニをゲットして、ナイフで切り裂いて、みんなに分けてあげた。メキシコではウニを食べる習慣がないらしく、みんな戦々恐々としていたが、こわごわと手を出して食べた。「おまえ、よくこんなもん食えるな?」と言われたが、日本では高級食品であることを説明し、またイタリアやチリではみんな食べていると説明すると、なんとなく納得していた。

そして、会計をしようとしてクレジットカードを差し出したが、クレジットカードを読み取る機械がうまく機能していなかった。

明らかに機械の調子が悪かったが、オーナーは「さっきの客では問題なかったから、君のカードの問題だよ。」と言って譲らなかった。別にそれは嫌な感じでもなく、心底そのように思っているようだった。だが、どう考えてもこちらのカードに不備はなく、機械が読み取りにいっていないのは明らかだったが、おとなしく現金で払った。その証拠にそのあとすぐにカードを別のところに使ったが、もちろん問題なく使えた。

人の良さそうなそのオーナーは観光地であるプラヤ・デル・カルメンの倍以上の値付けをしており、食べ物にいたっては3倍以上していた。たぶん、「人がいい」ということと「きっちり観光客からぼる」というのは彼のなかでは見事に両立しており、罪悪感なんて一切感じていないのだろう。

そこによく来る常連のアメリカ人とも気軽に会話したりして、「ここはいつも賑わっていて、常連客がまた違う客を連れて来てくれる」と言っていた。

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嫌いじゃない考え方だ。 彼らはとても欲望に忠実だし、また敬虔なカトリック教徒でもあるので、「善き魂」であることを心がけてもいる。

自分が思いついたことについて検討し批判し、相手の立場になって考えたり、または想像することを全くせずにそれをそのまま素直に信じて、「自己の正しさ」を主張するのは、この残酷な世界を生きていくにはけっして悪いやり方ではない。

経験から学んだり、想像することによって心を痛めたりすることはないかもしれないが、別にそんなことをしても腹の足しにもならないのは事実だ。

でも、きっとラテンの国々がいつまでたっても先進諸国の人たちに駆逐され、搾取され、最終的に彼らのものを根こそぎ奪われているのも、彼らが「自己の正しさ」を正当化し続けているからではないだろうか。

メキシコの漁師と旅行者という寓話があるが、同じように小さな漁村で漁をしながら生活している人たちにも様々なバックグランドがあり、人生経験がある。個人的には結果的にはメキシコの小さな漁村で楽しく歌でも口ずさみながら生活することになっても、それでもやはり世界に出て勝負をして、あらゆることを経験してみたいと思う。

どんな幸せな生活を送っていようとも、現状に満足してしまえば停滞しかない。 現代ではこんなにもたくさんのことが可能になり、一昔前では夢のようなことが今は誰にでもできるようになっている。それをやはり体験しないのは損な気分になってしまう。

ラテンの人たちは確かに幸せそうだし、そこに偽りはないだろう。そして、獰猛な先進諸国の人たちはある意味不幸な人もたくさんいるけど、少なくてもより多くの人生経験を積むことは可能だ。両者には埋めがたい溝があるが、どちらも等分な可能性を秘めており、結局は自分が生まれた環境や文化を乗り越えて、「そとの世界」へと飛び出していける人たちには大きな未来が開いていると思っている。

発展途上国の人たちにとって物理的に「そとの世界」に飛び出すことは難しいかもしれないが、インターネット上では容易にできるし、人の経験を自分のことのように捉えれば、そこから多くのことを学ぶことは可能だろう。

想像力がなければ、どんなに人生経験を積んでもけっして、そこから何も学ぶことは出来ない。 この「想像力が圧倒的に欠如したラテンの世界」で人々が一向に何も学ぶことが出来ないのは、それが原因ではないかと思う。

幸せには色々な定義があるが、自分にとっては「幸せとは、いつも自分を更新している」ことであり、今日とは違う明日を日々更新することだ。

少なくても、「メキシコのちっぽけな島でクレジットカードが使用不可」になったくらいでこんな長々とブログを書くだけの想像力を持ち合わせてはいるので、人生経験を積むことだけはしっかりできてはいる。それをもっと活かして今日とは違う明日を毎日送っていきたい。

再びメキシコシティへと:2016年の春

メキシコシティへと再び戻ってきた。

人生は儚く、また愛しいもの

もともとは、メキシコ人の親友アビマエルが去年の12月に事故に遭い、1ヶ月半ずっと寝たきりの状態だったために、彼を励ますために一緒にプラヤ・デ・カルメンに行こうと計画したことから始まる。

そのときは全く本気ではなかったし、ただの口約束だったが、仕事関係でメキシコとキューバに行く案件が発生したので、それらを絡めて当初約束した5月にメキシコへとやってきた。

有言実行とは聞こえはいいが、人生何が起こるか分からない。

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寝たきりで運動不足なアビマエルは体格がふた回りくらい大きくなってしまったが、元気そうで何よりだった。

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彼はアレックスという医者とマンションをシェアしており、そこに居候している。ちょうどアレックスはヨーロッパに旅行に行っているので、メキシコシティのコンデサ(東京で言うところの青山みたいなところ)で一人すっかり寛いでいる。アレックスの前の彼氏が画家だったので、至る所に彼の作品が飾られており、なかなか小洒落ている。(週末はアビマエルも泊まりで遊びに出かけたので、文字通り一人きりになり、それもそれで心地いい) 

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コンデサは緑が多く、空気汚染で有名なメキシコシティとは思えないほど、気持ちがいいところだ。今度、メキシコシティに住むことがあるならば、ぜひここに住みたいと思う。

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お約束のようにタコスとミチェラーダ(ビールにレモン汁と塩をグラスの縁にまぶしたもの)を満喫している。久しぶりにメキシコのタコスを食べたが、すごくおいしかった。住んでいるときは食傷気味だったが、離れてみると恋しくなるものだ。だが翌日はあっさりと韓国料理屋へと繰り出したが・・・・

仕事も無事終わり、今週の木曜日にアビマエルと一緒に約束通りにプラヤ・デ・カルメンに行き、そこからキューバへと飛びJETROが主催するキューバ視察旅行に参加する予定だ。

プラヤ・デ・カルメンにも友人が数人おり、またキューバにもブエノスアイレスのミロンガで知り合ったロイター記者の友人がいる。こうして、世界各国に友人が散らばっているのは、とてもありがたいことだ。

メキシコシティの街を歩いていても、全く異国にいる気がしない。

勝手知ったる街だからだろう。しばらく日本にいて、このラテンの国に来ると、人と人が近いラテン的な人間関係を心地よく感じる。同性同士で会うと握手し、異性と会うと右のほっぺたにキスをする。なんともないことだが、こんなことでその人たちと近しい気がしてくるから不思議だ。

そして、久しぶりにメキシコのミロンガに繰り出したが、色々な知り合いに声をかけられ旧交を温めて、とても楽しい時間を過ごした。今回の旅に関してはそれほど期待していなかったが、本当に来て良かったと思う。

同じ場所にあまり長く居ると、いつまにかその土地の考えに支配されていることに気付かなくなる。人種も言葉もバックグラウンドも違う人間が知り合ってなにかしら話をすること自体、ちょっとした奇跡のようなものだ。

そんな瞬間をこれからも多く体験したいと思っている。

ワンズワード・コネクト始めました:海外在住の日本人通訳と企業のマッチングサイト

株式会社ワンズワードは2009年3月に創業しているので、すでに7期を終えて、8期目に入っている。今年の決算も無事終わり、法人税および消費税を収めた。

当初はオンライン英会話スクールなど作る予定はなく、ただただソーシャルビジネスに惹かれて起業した。

だから、オンライン英会話スクール「ワンズワード・オンライン」を立ち上げた時も、社名にプラスして「オンライン」と付けた。あとから、色々な事業を立ち上げる予定だったからだ。

「ワンズワード・ビジネス」「ワンズワード・キッズ」「ワンズワード・トラベル」と、なかなかワンズワードという言葉は語呂がいい。起業して、2年を過ぎた頃にはオンライン英会話スクールは軌道に乗ったので海外に移住することにして、2011年に夫婦でブエノスアイレスへと旅立った。

スペイン語の勉強とタンゴにはまり2年ばかりが過ぎて、次に移住したメキシコシティではたくさんの友達を作って楽しい時を過ごした。いつしか、違う事業を立ち上げる気概を失っていた。私生活がなんやかんやで充実しており漠然と過ごしてしまった。去年からさすがにやばいと思い、危機感を持って仕事をして、ようやく新しい事業を立ち上げることが出来た。

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ワンズワード・コネクト (世界中のビジネスをつなぐ:海外在住の日本人通訳と企業のマッチングサイトです)

ワンズワード・オンラインは「自分自身が選んだ優秀な先生とやる気のある英語学習者(スペイン語学習者)のマッチングサイト」とも言えるので、やることにたいして違いはないかもしれない。だが、オンライン英会話スクールのときは、広告や宣伝をしなくても、日本には本当に見る目があってやる気のある英語学習者がいるから、200人や300人は集まるだろうという想定があった。

今回は違う。

初速が非常に重要な事業なので、とにかく優秀な通訳を抱え込み、このサイト内で仕事をが回るようにしないといけない。やることは山積みだし、いままでと同じやり方では通用しない。

そして、今回の立ち上げでつくづく思ったが、自分はゼロを1にすることに長けているが、その1を10や100にすることには向いていない。だから、今回は色々とほかの人たちから協力を仰ぎ、たくさんの人を巻き込みながら事業を成長させていければと思っている。

僕の座右の銘は「自覚されたことはすべて正しい By オスカー・ワイルド」だ。

自分でできることとできないことはこの7年のあいだでかなり明確になったので、今回はその経験を活かしてまた新しい気持ちでこの事業に取り組んでいきたいと思っている。

失敗した人生とは:桜散る頃に思うこと

いいかい、人間のやることの九十九パーセントは失敗なんだ。だから、何にも恥ずかしがることはないぞ。失敗するのが普通なんだからな。       伊坂幸太郎

成功は人生の問題をだいたいにおいて、覆い隠してしまうことは事実だ。 失敗から学ぶことは多いが、成功はたいていの場合、運と時の流れによって決まると言っていい。

だからこそ、人は失敗から学び、成功することによって浮かれ、自分を見失う。

努力すれば、当然成功の確率は高まるし、最大限の努力はやるべきだと思うが、それでも人生は努力だけではどうにもならない。だが、ひとつ言えるのは、きっと失敗すらできない人生が一番の不幸だ。

なぜならば、それは何も挑戦をしていない人生を送っているということだからだ。 失敗することは実際問題として恥ずかしいことだし、ダメージが大きい場合が多いが、そこから学び、また再び挑戦できるのであれば、救いはある。

世界50カ国を旅して、海外に10年ほど住んで思ったが、結局のところ人間の人生なんて、生まれた環境によって90%ぐらいは決まってしまっているというどうしようもない現実だ。

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一時は一億総中流社会と言われた日本に生まれると、それほど貧富の差は感じることはないかもしれないが、実際は世界の1%の人たちが世界中の富の半分も保有しているのが現状だ。

1%の最富裕層、世界の富の50%余り保有へ-オックスファム

挑戦できるだけでも幸せなことだし、富んでいる証拠でもある。 世界の多くの人は挑戦すらできずに老いて死んでいくのが現実なのだから。

だから、失敗するということはなかなかなもので、「失敗した人生」というのは胸を張れるものなのかもしれない。自分の人生に語るべきものがない人たちは他人をよく揶揄するが、そんな暇があれば、自分はずっと挑戦していきたいと思っている。

新しい事業を起こして成功したいし、新しい国に住んでまた新しい言語を習得したいし、それにまだ見ぬ出来事や景色を見て見たい。きっとそれまで多くの失敗もするだろうけど、最後の最後でうまく勝てればと思っている。

こんなことを思うのはきっと春だからだろうけど、人生頑張りすぎず、欲張りすぎず、諦めが早すぎなければ、意外とどうにかなるものだと思っている。

たった3ヶ月で英語がペラペラに!

時々、「どのように英語をマスターしたのか?」あるいは「スペイン語をマスターしたのか?」と聞かれることがある。

そういうときは、たいてい「1日4、5時間勉強して、だいたい1年で文法やセンテンスは問題なく言えるようになるから、あと1年かけてなるべく流暢に話せるように1日最低でも2、3時間は勉強するといいよ」という夢も希望もないことを言って彼らを幻滅させてしまう。

なぜ英語ができるようにならないか

上記の記事にあるように日本人が英語を習得しようとすると、3000時間かかると考えると、大学まで1000時間英語に費やしたとしてもあと2000時間もの時間がかかることが分かる。

たった3ヶ月で英語がペラペラ!」というような情報商材あるが、1日20時間勉強して90日続けると、たしかに1800時間にはなるので、不可能ではない。

もちろん、ただ時間をかければいいというわけではないし、90日間のあいだ1日20時間も英語学習にかけられる人が存在すればの話しだが・・・・・

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1. 英語は話せば話すほど、うまくなるのか?

とにかく毎日話せばうまくなるという幻想を抱いている人は多いが、うまくなった気になっても、実際はたいして上達はしない。基本的にインプット10に対して、それらをアウトプットできるのは1か2だと思うので、その割合に応じて、オンライン英会話などをうまく活用すればいいと思う。

日々、自学自習もしていないのに、安いからといって毎日のようにオンライン英会話で話しても、けっして英語習得はできないと思う。

2. 正しい外国語習得の方法

これはいつも思うのだが、数学と同じだと思う。 まずは公式を覚えないと、問題は解けない。

だから、英語ひいてはあらゆる外国語でその公式に相当する文法やイディオムなどをまずは習得する必要がある。数学の公式と同じように、ただ公式を覚えるだけだと退屈なので、それらをどのように使ってアウトプット(話したり書いたり)できるかを考えてながら習得すべきだと思う。

今まで習得はできなかったが、フランス語、イタリア語、ポルトガル語を習った経験でいうと、「ただ話せる」ようになるにはそれほど難しくはない。ただ話すには、どれだけ暗記するかが問題であり、公式を使って自分で問題を解いたり、応用したりする必要はないからだ。

だが、「きちんと話す」ようになるには、相当な時間と鍛錬が必要だと思う。

これらの「英語を話すために書かれた文法の本」を使って、まずは英語の公式を習得すればいい。 3. 短期間で英語、およびほかの外国語を習得する方法

結論からいうと、結局は「どれだけ多くの時間を短期間に集中させて勉強するか」に尽きる。1ヶ月のあいだ1週間に1回1時間勉強するよりは、4日間のあいだ続けて1日1時間勉強したようが学習効果が高いことは容易に想像がつくはずだ。

(大変優れた外国語の学習方略の本です。あらゆる外国語学習者に読んでほしい一冊です)

また自分なりの結論としては、やはりいかに「優秀な先生と出会える」かが、外国語学習のモチベーションに深く影響すると思う。だから、自分が納得した先生しか雇用しないオンライン外国語スクール・ワンズワードオンラインを作ったし、今はそうして習得した人たちが、「外国語を使って社会で活躍できる事業」を準備している。

急がば回れというが、これは英語習得およびほかの外国語習得にも言える。 「たった3ヶ月で英語がペラペラに!」は聞こえはいいが、あなたが1日20時間、90日間のあいだ勉強し続ける自信がない限り、そんな商法に惑わされずに粛々と英語学習を続けたほうがいいだろう。

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