Keep My Word

旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

漠然としたコミュニティ意識とコミュニティを創るということ。

以前、雑誌の取材でカナダに行き、地域通貨を取材したことがある。カナダのバンクーバー島LETSという地域通貨の設立者であるマイケル・リントン氏にインタビューをし、その設立の経緯を聞いた。そして、トロントではトロントダラーを考案したジョイ・コガワ女史にどのようにトロントダラーが使われているか詳しく話を聞いた。

1. 卜ロント・ダラー:カナダ・トロント

2. LETS−地域交換交易制度−:カナダ・コモックスバレー

マイケルは元々ヒッピーで、アナーキストという出自であり、彼が目指したのはコミュニティの復興や再生などではなく、既存の社会を否定して、それに代わるものを創り上げることだった。実際、インタビューした頃は彼は無職であり、彼の妻が働き、生活を支えていた。僕の彼に対する印象は「口ばっかりで、たいしたことないやつ」というものだ。

特に彼のビジネス上のパートナーであるアランと食事を共にしたとき、僕が「社会にはルールがあり、それを守りながらプレーをするのが筋ではないか」という話をしたとき、生粋のアナーキストである彼は「いや、ルールなんて守りたくない。そんなものは本当は存在してはならない」と真っ向から対立した。もう10年以上の前のことだから、僕は25歳ぐらいで彼はおそらく僕の父親とそう歳は変わらないはずだった。

すでに在るものを否定しても何も変わらないし、生産性がない。

そして、対照的だったのは、ジョイさんで彼女はすでに成功した作家だったが、社会的弱者をどうにかしたいという気持ちがあり、そのために地域通貨を作った。マイケルたち自身が社会的弱者だったのとは対照的だし、その発想の仕方は根本的に違っていた。(当然、当人たちはそんなことを思ってもいないし、それを指摘したら激怒するだろうが・・・・・)

ジョイさんの話では、トロントの税収の40%はカナダのほかの地域のために使われ、トロント社会福祉などを充実するためのお金が、トロントには残らないと言っていた。そこでトロントからなるべくお金が出て行かないようにし、なおかつホームレスの人たちが市の掃除や施設のために働くとトロントダラーで支払い、彼らの生活を支える仕組みを作ったとのことだった。(トロントダラーはその名の通り、トロントでしか使用できない。だが、カナダドルとも交換可能であり、その率は10対9である)

ジョイさんとその旦那さんとも会ったが、とにかく彼らはエネルギッシュで、ジョイさんはすでに60歳を超えていたかと思うが、僕たちのほうがへとへとになるくらい、トロント市内を歩きまわり、色々な施設を見せてくれた。それにトロント市長にも会わせてくれて、顔も広く、地域の人たちから尊敬されていた。

どうして、こんなことを書いたかというと、イギリス人のジムが仕事で10月にカナダに行くと聞いて、カナダのことを話すうちに地域通貨の話になったからだ。そして、日本でも地域通貨はあるにはあるが、どれもが失敗していると話した。その原因は「コミュニティを作り、それを盛り上げるために地域通貨を導入するのではなく、まずは地域通貨ありきで始めるから」ということを話した。

そしたらジムが「日本人はみんながある1つの大きなコミュニティに所属しているように思っている。だけど、本当はそんなものを存在しないし、日本人からそれほど強いコミュニティ意識を感じない」と言った。

それは一理ある。それを顕著に表しているのが、「流行」という現象だ。よく雑誌ではロンドンやニューヨークの最新流行ファッションなどが取り上げられるが、現地ではそんなものは存在しない。真冬にTシャツ1枚で出掛けるほど、彼らは服装に対して自由であり、着たいものを着て、それで満足している。

日本では何かに付け「流行」という1つの価値観を創出し、あたかもそれが絶対無二の価値観だと思われている。政治やスポーツでも「流行」は存在し、みんなが右に倣うことを由とする。一人の一人の個性や価値観なんて無視され、尊重はされない。

「流行」にさえ従っていれば、尊重され社会から受け入れられた存在になれると言っても過言ではないほどだ。そして、流行は必ず廃れ、そのものの本当の価値など精査されることなく、姿を消していく。ルーズソックス、サッカー日本代表民主党、どれも似たような末路を辿り、そのものの本当の価値なんて誰も深くは考えない。

強いコミュニティ意識というものは社会全体を良くする推進力はあるが、このような漠然としたコミュニティ意識は、物事の価値を見えにくくし、弊害が多い。漠然としたコミュニティ意識に基づいて「日本を良くしたい、日本を変えたい」などと言っているよりは、「おらが村を良くしたい、自分の会社を変えたい」といった細分化されたコミュニティに対する発言のほうが
より信用度が高いことも事実だ。

自分自身を例にすると、英語教育界を変えたい、オンライン英会話業界を変えたいなどとはこれっぽっちも思わないが、本気で英語を勉強している人たちに対しては、より良い英語習得法を提示していきたいと思っている。対象となっているコミュニティは漠然としているかもしれないが、コミュニティ意識は高い。ネットの世界だからこそ、それが可能だと思っている。

もしかしたら、ネットの世界、リアルな世界という切り分けはもうすでに意味を成さなくなっており、お互いがお互いを侵食し、補完し合っているのかもしれない。それをなるべく利用して、より高い意識を持った人たちとこれからも知り合い、自分自身を高めて、人と人を繋げていきたいと思っている。