Keep My Word

19歳から旅を始めて、スコットランドで英語を学び、アルゼンチンでスペイン語とタンゴを学び、メキシコではサルサをかじり、オンライン英会話/スペイン語スクールを運営している男のブログです。海外滞在歴10年、50カ国ほどぶらぶらしました。

日本の英語教育が問題なのか、それとも学校教育が問題なのか?

楽天の三木谷社長などは日本の英語教育について厳しい見方をしているが、そもそも学校での教育自体に問題があるのではないだろうか?

先のエントリーに取り上げたように、目標設定には達成目標と学習目標の二つがあるが、日本の学校では達成目標しか設定しない。人生について、本当に有意義なことなど何一つ教えてはくれない。中間試験や期末試験の結果などが重視されるが、それらはそのあとの人生そのものには一切関わっては来ない。

では、学校教育全体の質を上げるにはどうすればいいか?

スタンフォード大学の経済学者エリック・ハヌシュクの概算によれば、劣った教師の生徒たちは一学年で平均して半年分の授業内容を学ぶ。同じく、優れた教師の生徒たちは一学年で平均して一年半分の授業内容を学ぶ。となると、一学年で一年分の差が生まれる

これは下記本の引用だ。

優秀な先生の定義は難しいがこの本によると「フィードバックー生徒の特定の発言に対する、その生徒個人に向けた教師の直接的な反応ーこそが、学力向上と最も深い関係がある」と記述されている。そうなると優秀な先生とは、生徒個人に対してきちんとしたフィードバックを返せる先生ということになる。

学校全体のカリキュラムどうこう言う前にいかに優秀な先生を雇用し、授業の質を上げて、学習の精度を高めるということが学校教育には必要なことなのだ。具体的な例として「優秀な先生をひとり確保するためには四人の候補を試す必要がある」と試算されている。

そして、「本当の意味で優れた教師を集めるためには、現在のように教師の”長期在職権”を機械的に保証するのではなく、また、実際の能力に応じて評価するのであれば、かなり固定した従来の給与体系も見直しが必要だ」と指摘されている。

ワンズワードオンラインで、先生採用を厳しく行っている理由は今まで述べてきたことに合致する。効率よく学習向上を目指すには、優秀な先生を雇用する必要がある。そして、特定のカリキュラムも設定していないのは、生徒様個人のニーズを尊重し、またそのニーズに応えられる優秀な先生しか雇用していないからだ。

TOEICなどの資格試験に関しても、生徒様からの要求がないかぎり、あまり推奨はしていない。英語学習は学習目標であるべきであり、達成目標ではないからだ。それにTOEICで高得点を取るためのテクニックなどは自分で学んだほうがよほど効率がいい。せっかくのレッスンをそのようなことに費やすよりはもっと実際的な問題について取り組んだほうが、英語力全体の向上が期待できる。

(ビジネス的にはきっとTOEIC800点突破コースなんて設定したほうがいいのだけど)

学校教育についても同様のことが言える。達成目標としてではなく、学習目標として勉強を捉え、もっと有意義な時間が費やせるように学校のシステムそのものを変革する必要がある。

「木を見て森を見ず」とよく言うが、日本の現在の閉塞感は万事につけて場当たり的な対応してきた、そのツケではないだろうか。総理大臣はころころ変わり、マスコミはそれを正す機能も果たさず、モノづくりばかりしておけばなんとかなった時代が終わったことにも気付かない団塊世代の経営者たち。

いいものを作れば売れる時代は終り、いいものは当たり前で、なおかつ正しく人々に役に立つものしか売れなくなった。ネットの力で知恵をつけた消費者が今最も正しい行動をしているのもしれない。マスコミ、政治家、企業の広告などに頼ることなく、自分たちの目で何が正しいか判断できるだけの情報を得ることが可能となった。

これからの学校教育は、そのようなことを踏まえて、いかに情報の海から有用な情報を取捨していくかを教えていく必要がある。熱血先生がもてはやされた時代は終り、現在ではグーグルやツイッターを自由自在に操り、生徒の会話に入っていける先生のほうが人気があるのだろう。先生にとっても受難の時代だが、いつまでも「インターネット、よく分かりません」などと時代錯誤的なこを言っている先生たちを見ていると「日本、大丈夫か」と思ってしまう。