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旅とタンゴをこよなく愛する。カラダナオル創業者。

ミルトン・エリクソン 心理療法 レジリエンスを育てる

これは自分にもできることだ。あれだって自分にはできたはずだ。そのほかのことがあるとしたら、天に任されている。それを助けるのは、自分にできるあらゆる善行だ。

 

心理療法の産みの親と言っても過言ではないミルトン・エリクソンがあらゆる医師に必要なこととして上記のことを述べている。

 

そして、ラーナーとフィスク(1973)による画期的な研究の中では、それまで結果を予測すると主張してきた患者の属性より、自分には助ける力があるというセラピストの信念のほうが、結果の予測因子として優れていることを発見している。

 

要するに、あらゆる施術を行うものは「良き心」を持って施術を行わないと、結果は伴わないということだ。

 

 

ヒプノセラピーを行うものとして、エリクソンの著書は必読の書だと思ったが、これほど内容が濃いとは想像していなかった。彼が生み出した数々のテクニックや考え方は現代のコーチングにも生かされている。(ちなみにメンタリストのDaiGOもエリクソンの著書で学んだことは有名な話だ。)

 

特にこの本はうわべだけのテクニックではなく、エリクソンの深遠な哲学と思想が詳しく解説してあり、とてもためになった。

 

特に治療と癒しを全く別物として扱っているのに感銘を受けた。

 

治療とは施術、薬、あらゆる手技などの外的要因と定義されている。さらに薬とは、「きちんと働いてる正常な細胞には不要な外因性の化学物質で、比較的少量の服用によって体内の特定の細胞の機能を有意に変化させるもの」と定義されている。

 

そして、「癒しとは回復過程における内的リソースの活性化である。」

 

さらに「治療と癒しは医学的なものであれ、心理学的なものであれ、累積効果をもつが、治療は同時に癒しがなければ成功しない。」と定義されている。

 

その例として、右脚が壊疽になり、その治療としてその右脚の切断を余儀なくされた男性の話が紹介されている。治療行為としての右脚切断は成功はしたが、その男性は絶望のあまり自殺してしまった。右脚切断してもその男性が希望を持てるような癒しを担当医師は与えることはなかったのだろう。

 

逆にエリクソンは11年間関節炎で車椅子生活をしている男性を、彼を訪ねてきてその1年後にトラックドライバーとして社会復帰させることに成功している。

初めて来所したその男性は常に悪態を吐く嫌なやつだったらしいが、体は全く動かせないが、エリクソンは彼の親指だけは動くことに注目した。

 

男性にとってみれば「親指しか動かせない。」という否定的な事実だったが、エリクソンにしてみれば「親指が動くということは末梢神経は問題ないはずなので適度な動きをさせれば他の指も動かせるようになるだろう。」という見立てだった。

 

だから1週間親指を動かすにように指示し、そうすると中指も動くようになり、のちに全ての指が動かせるようになった。そうして全身が問題なく動かせるようになったというわけだ。

 

物事において、大事なのは解釈だ。

一つの事実をどのように解釈するかで人生が決まると言っても過言ではない。物事の事象は皆同じものを見ていると思い込んでいるが、100人いれば100通りのモノの見方が存在する。

 

施術者にとって重要なのは希望を持って、来所する方々の症状を見ることだろう(CS60の施術者だったら、CS60どうこう以前の問題だ。エリクソンはある意味、西村先生以上の奇跡を結果として残している。)

 

結局のところ、いつの時代も大事なのはものではなく、人であり、その心なのだと深く感じ入った本だった。